チュニジアのチェニス往訪記(グローバリズムのトリニティの一つ「人の移動の自由」についての考察)
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このGWに4/30〜5/3にチュニジア共和国を往訪し、チェニス市内を視察いたしました。そのため、今日は撮影した写真をご紹介し、チュニジア共和国の往訪記として記事を書きます。
チュニジア共和国の場所は下記の通りです。リビアとアルジェリアに挟まれて地中海沿いにあります。
全行程4/29〜5/4でして概要は下記の通りです。飛行機は全てターキッシュ・エアラインです。
【初日:04/29(日)】
東京・成田国際空港21:25発 ⇒TK0053便⇒ イスタンブール・アタチュルク国際空港03:35着
機内泊
【2日目:04/30(月)】
イスタンブール・アタチュルク国際空港08:30発 ⇒TK0661便⇒ チェニス・カルタゴ国際空港09:25着
カルタゴタラソリゾートホテル泊
【3日目:05/01(火)】
チェニス市内視察(ケルクアン遺跡とボン岬半島)
「国際文化センター」「ハンマメットの旧市街地メディナ」「ビザンチンの城塞」「ケルクアン遺跡」
カルタゴタラソリゾートホテル泊
【4日目:05/02(水)】
チェニス市内視察(バルドー博物館と旧市街地メディナとカルタゴ遺跡)
「バルドー博物館」「世界遺産旧市街地メディナ」「ビュルサの丘」「アントニヌスの共同浴場」「フェニキアの聖地トフェ」「古代カルタゴ時代の港」「シディ・ブ・サイド」
カルタゴタラソリゾートホテル泊
【5日目:05/03(木)】
チェニス・カルタゴ国際空港17:00発 ⇒TK0664便⇒ イスタンブール・アタチュルク国際空港21:45着
機内泊
【6日目:05/04(金)】
イスタンブール・アタチュルク国際空港01:40発 ⇒TK0052便⇒ 東京・成田国際空港19:10着
全部で5泊ですが機内泊が2回あり、移動時間が多く、実質的には2日間だけフルに視察しました。現地では、日本人ガイドに案内をしていただきまして、チュニジア国内の情勢についてヒアリングした内容を下記の通り取りまとめました。
●治安
・日本の外務省の渡航レベルで、チュニジアはレベル1(※)となり、安全になった。
※レベル1:十分注意してください。その国・地域への渡航、滞在に当たって危険を避けていただくため、特別な注意が必要です。
・チュニジア市内の街中ではスリが多い。
・東側のリビアとの国境は危ないと言われているが、それほど治安が悪いというわけではない。西側のアルジェリアとの国境も同様。
・かつてチュニジア市内のバルドー博物館では、アルカイダの人が乱入して発砲し、3人の日本人女性が犠牲になった。
・賄賂が横行して、警察に賄賂を払って見逃してもらうということが頻繁にある。
●物価
・タクシーの初乗り料金は40円くらい。
・物価は、日本の物価の約半分くらい。
・チュニジア人の月給は600TND〜800TND(26,000円〜28,000円で、年収で31万〜33万)。中央銀行で働く人の月給が2000TNDくらい。
●言語
・チュニジア訛のイスラム語。
●宗教
・9割がイスラム教だが、他宗教も認めている。
●教育
・チュニジア国内では教育の重要性を認識されており、教育費の大部分が国が負担している。
●家電製品
・スマートフォーンは、韓国のサムスン電子か中国のファーウェイの製品が多く流通している。
●資源関連
・隣国のリビア、アルジェリアとは異なり、石油・LNGは採れない。エネルギー資源は輸入している。
●農業関連
・オリーブは輸出している。加工してオリーブ油も輸出している。オリーブの実からオリーブ油を精製する機械・設備もチュニジア国内にある。
・オレンジ、ナツメヤシの実は余剰生産しており、他国に輸出している。
・バナナは輸入していて、意外と高い。
・チュニジア米を作っているが、輸出するまでの余剰生産はしていない。
・畜産では牛や羊があって、羊は家族で1匹買って、父親が締めて家族みんなで食すという習慣がある。
●水産漁業関連
・鯛など魚を中心に漁業資源は多く漁獲でき、タコも獲れる。
・チュニジア産のマグロは、日本にも輸出している。
●交通インフラ
・チュニジアのプロジェクトにおいて日本のゼネコンの大成建設が参画している。
・道路では信号が少なく、立体交差の交差点も少ない。
・チェニス市内で、地下鉄導入の検討があったが、路面電車になってしまった。チェニス市内を走る路面電車はドイツ製。
・路面電車も渋滞に巻き込まれる。
・チュニジアの国鉄の列車があり、チュニジアから南部のサハラ砂漠の近くまで走っている。一応、時刻表があるものの、時間通りに列車が来ない。そのため鉄道を使った現地ツアーが組みにくく、ツアーがない。
・港湾整備が遅れていて、コンテナヤードなどの設備が不十分。
●その他
・チュニジア人の多くがチュニジアから出たいと思っている。
・医師の資格を持った人などは、ドイツなどに行く。
・チュニジアからイタリアに移民として地中海を船で渡ろうとする人がいて、船が沈んで命を落とすか、イタリアに上陸したとしても、ISやアルカイダのようなテロ組織と接触して洗脳されてしまう人もいる。
・日本人を見かけると「ニーハオ!」と声を掛けるが、チュニジア人からみて、日本人と中国人との見分けがつかず、とりあえず「ニーハオ!」と語りかけているだけ。中国人と日本人が仲が悪いということは知られておらず、悪気はない。
以下、写真を掲載いたします。
【初日04/29(日)〜2日目04/30(月)】
TK53便に搭乗します。
出発時刻が20分早まっていまして、21:05になっています。
出発時刻が遅れるということはあっても、早まるなんてことはあるのでしょうか?
TK53便の機内食です。
牛肉ハンバーグがメインディッシュです。
到着前の食事です。
和食で白身魚(スズキ?ORサワラ?)がメインディッシュです。
イスタンブール・アタチュルク国際空港に到着しまして、飛行機を降ります。
バスで移動して、イスタンブール・アタチュルク国際空港に着きました。
イスタンブール・アタチュルク国際空港の中の様子です。
ダイナースクラブカードのクレジットカードの特典の海外空港で無料利用できるラウンジです。
深夜・明朝ですが、多くの利用者がいます。
食事・飲み物を自由に取れます。
出発時刻が近づいてきましたので、ラウンジを出てゲートに向かいます。
TK661便でチェニス・カルタゴ国際空港に到着しました。
TK661便です。
チェニス・カルタゴ国際空港の様子です。
イスラム語と写真が掲示されています。イスラム語を見て、ついにアフリカに来たと思いました。
入国審査です。
イミグレーションを通過するのに、1時間近くかかりました。
日本ですと、どれだけ人が並んでもスムーズですが、海外では時間がかかるというのは、よくあることです。
空港内の様子です。
空港の外に出ました。
カルタゴ・タラソ・リゾートホテルの客室の様子です。
充電のコネクターがないため、借りられるか?ホテルのロビーに聞いたところ、スーパーマーケットで売っているとのこと。
スーパーマーケットというと、日本では西友とかイトーヨーカドーとかイオンのイメージがありまして、リゾートホテルだから敷地内に何でも揃っているのか!と感心したのですが、ホテル内になく、敷地にもスーパーマーケットらしき建物が見当たらないため、改めてホテルのロビーに聞いたところ、建物の中にあるということで、なんと下記の写真の「SHOP」のことを、スーパーマーケットと言っていたのです。
ぱっと見た感じは、お土産屋さんって感じで、こんな小さなお店をスーパーマーケットと言われても・・・と思いましたが、あとこんなお店にコネクターなんて売っているのか?と思いましたが、売っていました。
40TNDで2000円程度かかりましたが、充電のコネクターを手に入れることができました。
ところで、初日の往路は移動に大変な時間がかかりました。成田空港→アタチュルク空港で12時間強、アタチュルク空港→カルタゴ空港で3時間30分程度。15時間以上飛行機に乗って大変疲れました。復路もほぼ同じくらいの時間がかかるのですが、アフリカに行くというのは、かなりエネルギーが必要と感じました。
イスタンブールへは日本人の乗客が相当いまして、70%くらいは日本人の乗客だったと思います。一方で、イスタンブールからチェニスへは、日本人の乗客は私一人でした。
トルコは人気都市ですが、チュニジアは人気がないということなのか?この日に日本人を見ることはありませんでした。
【3日目:05/01(火)】
この日は、「国際文化センター」「ハンマメットの旧市街地メディナ」「ビザンチンの城塞」「ケルクアン遺跡」を往訪します。
朝食会場のレストランです。
06:30の開場してすぐだったため、ほとんど人がいなくて、薄暗いです。
玉子焼きやオムレツをその場で作る場所です。
ですが、コックさんがいません。
とりあえず、適当に食べ物をとりました。
目の前でクレープを焼いてくれています。
2017年の元旦に亡くなった母親は、私が小さい頃、誕生日というとクレープを作ってくれまして、思わず母が作ったクレープを思い出してしまいます。
以上リゾートホテルの朝食バイキングでした。シェラトンやヒルトンと比べると、品数などで見劣りします。
部屋に戻って外出の準備をしますが、カルタゴタラソリゾートホテルのエレベーターです。
おしゃれな造りで、パッと見た感じ、12人くらい乗れるくらいの広さなのですが、なぜか4人までしか乗れないと書かれています。
日本製のエレベーターでないです。
さて、「国際文化センター」という場所を往訪です。
1927年に建てられたルーマニア人の大富豪のジョルジュ・セバスチャンの別荘です。
ローマ式風呂やアーケードに囲まれたプールがあり、洗練された建築物です。
これが風呂場です。
ジョルジュ・セバスチャンの顔です。
部屋から地中海が見えます。
日本人のガイドの方と休憩です。ガイドさんはコーヒーを、私は紅茶を飲んでいます。
庭を散策します。
ローマ劇場のような(ローマ劇場ではありません。)広場がありました。
続いては、ハマメットという場所ににある「旧市街地メディナ」を往訪しました。
旧市街地の様子です。メディナという市街地が最初に作られたのは904年ですが、1236年に今の広さに拡張されたとのことです。
途中で、ペンキ塗りをやっているおじさんがいまして、そのおじさんが自分の作業の手を止めて、「ペンキ塗りをやってみろ!」ということで、ペンキ塗りやりました。当然、予定にはないアクティビティです。
メディナの海岸沿いの様子です。地中海が見えます。
カフェなどもあって大変おしゃれな場所でした。
続いては、ケリビアという街にある「ビザンチンの城塞」です。ビザンチンというのは、ローマ帝国が亡びた後の6世紀〜7世紀の時代で、ビザンチン時代といいます。「ビザンチンの城塞」の入り口です。
「ビザンチンの城塞」です。
入り口から城塞に入ります。
見取り図です。
城塞内の様子です。
城塞からも地中海が見えます。
年号についての説明です。
紀元前1000年〜紀元前146年がフェニキュア時代。
紀元前146年〜439年がローマ帝国の時代。
513年〜698年がビザンチン時代。「ビザンチンの城塞」は、この時代のときにできた建築物です。
1492年〜1881年はオスマン朝時代。
1881年〜1956年はフランスの保護下におかれますが、第二次大戦終了後、植民地支配下にあった国々の独立戦争によって、チュニジアも1957年にフランスからの独立を果たしました。
昼食会場です。「エル・ハワリア」という地中海を眺めながら食事ができる屋外のレストランです。
席からは、地中海を眺めることができます。
ガイドさんと食事です。
左側の白い皿にあるやつですが、一番右側はコチュジャンみたいな辛い調味料。真ん中はオリーブ。左はピクルスみたいなやつ。
フランスパンのバケットと一緒に食べます。
チュニジアビールというのを飲みました。
鯛です。小ぶりで白身はおいしい。
骨とか皮とか残しましたが、ガイドさんは、大変綺麗に食べておられました。
最後の往訪先は、「ケルクアン遺跡」です。ローマ帝国に滅ばされる前のフェニキア人の時代の遺跡です。
遺跡の敷地内に入ろうとするところです。
猫を発見しました。
遺跡に向かいます。
ここからが遺跡の現場です。1952年に近くで釣りをしていた考古学者によって発見されたとしています。
フェニキア人の遺跡を再現した模型です。
【4日目05/02(水)】
この日は、 「バルドー博物館」「世界遺産旧市街地メディナ」「ビュルサの丘」「アントニヌスの共同浴場」「フェニキアの聖地トフェ」「古代カルタゴ時代の港」「シディ・ブ・サイド」を往訪します。
またまたホテルの朝食会場です。
ナツメヤシの実、みかん、リンゴがあります。
ジュースは、オレンジジュースとストロベリージュースです。
日本ではストロベリージュースは、あまり見かけません。
ストロベリージュースばかり飲んでしまいました。
この日は、ピラフみたいなのがメニューにありました。
チュニジア産のお米です。意外とおいしい。普通に食べられます。
またまたクレープ焼いてもらいました。
オムレツも作ってもらいました。
以上がこの日の朝食バイキングの様子です。
さて、まずこの日は「バルドー博物館」を往訪します。
中に入るとロビーは広いです。
実は、このバルドー博物館ですが、3年前の2015年3月18日に、武装集団が乱入して外国人観光客を襲撃したという事件があった博物館です。
下記は、犠牲者となった22人の方の名前と国籍です。日本人の女性3人も犠牲になりました。ウィキペディアによれば、東京都荒川区の66歳の女性、埼玉県狭山市の49歳と22歳の女性の合計3人です。
ご冥福をお祈りします。
バルドー博物館は、なんといってもモザイク画家が数多くありまして、写真たくさん取りましたが、そのうちのいくつかを掲載します。
◆「ユリウス卿のモザイク」
◆「ヴェルギリウスの肖像」
「地球の歩き方」にも載っていますが、ローマの詩人ヴェルギリウスの肖像画で、世界最古の肖像画とされているようです
◆「オデュッセウスとセイレーン」
これも「地球の歩き方」に載っています。地中海航海の最大の難所のセイレーンの島で、美しい歌声に惑わされ、岩礁を通過できた船がないということで、主人公のオデュッセウスは、帆柱に身を縛り付け、飛び降りることのないようにして歌声を聞きながら岩礁を通過しようと試みます。その様子が描かれたものです。
◆ケリビアの初期キリスト教の洗礼水盤
これもまた「地球の歩き方」に載っています。バルドー博物館の秘宝の一つとされています。セバスチャンの別荘にあったお風呂と似た形をしています。
◆その他
これは「地球の歩き方」に載っていませんが、セバスチャンの別荘にあったお風呂に似た形のがありましたので、写真撮ってしまいました。
◆その他のモザイク画(一部タイル画もあり)と館内の様子
以上バルドー博物館でした。
3年前、この建物の中に乱入した武装集団のテロ行為により、多くの犠牲者が発生したとは、驚きです。この建物に突然テロ組織が入ってきたとすれば、どうやって隠れるのか?逃げられるのか?考えさせられました。
続いて、「世界遺産旧市街地メディナ」です。
この建物はモスクです。
レストランが12:30開店で、それまで時間つぶしで、市街地内にある高級ホテルを見学することになりました。
「DAR EL MEDINA」という4つ星の高級ホテルです。
<「DAR EL MEDINA」ホテルのホームページ(http://www.darelmedina.com/)>
高級ホテルの入り口です。
アンティークでモダンな高級ホテルです。冷暖房も完備で、トイレ・バスもきれいです。
ただ日本人が宿泊しようとすると、場所探すのに大変。車が近くまで入れないため、大きなスーツケースを引き歩きながらということで、不便かもしれません。
12:30を過ぎたため、旧市街地メディナの中にあるレストランで昼食をします。
レストランの入り口です。
メニューは3品選びます。前菜とメインディッシュとデザートです。
またまたバケットと辛い調味料が出ました。
私の選んだ前菜はスープです。
ミント入りのレモネードと、メインディッシュの牛肉を煮込んだもの。
デザートはプリンです。
ガイドさんとメニュー違うものを頼みまして、半分ずつ食べようとしたのですが、あまりにも量が多すぎて。
自分が頼んだメインディッシュが食べられず。プリンも少し残してしまいました。
ガイドさんが注文したのは、羊の内臓でレバーなどが腸詰になったものでした。日本でホルモン焼きとかよく食べる私にとっては臓物系は何ら問題ありません。大変おいしかったです。
続いて「ビュルサの丘」です。フェニキアの遺跡とローマの遺跡が混在する不思議な遺跡です。
地中海が見えます。
続いて、「アントニヌスの共同浴場」です。
ローマ帝国時代の共同浴場です。
共同浴場の跡といってもイメージしにくいかもしれませんが、水源があって灌漑があって、ちゃんと水が流れるように設計されているとガイドさんから説明を受けました。ローマ帝国で大浴場があったとは、驚きです。何しろこの頃、日本はまだ卑弥呼の時代です。
続いて、「フェニキアの聖地トフェ」です。フェニキア人の赤ちゃんや子どものお墓とされています。
たくさんの墓石が並んでいます。
洞窟の中にも入りました。
続いて、「古代カルタゴ時代の港」です。今は漁港として使われていません。
釣りをやっている人が一人いました。
「シディ・ブ・サイド」を往訪します。
入ってすぐにある喫茶店に入りました。
喫茶店の中の様子です。
「シディ・ブ・サイド」の街中の様子です。
この建物は、高級レストランだそうです。
地中海が見えてきました。
港が見えます。
青い屋根は、「カフェ・シディ・シャバーン」という喫茶店で、大変おしゃれなカフェです。
地中海を見ながら喫茶できます。
この建物は、ホテルだそうです。地中海がすぐ目の前という素晴らしいロケーションです。
地中海がみえます。
以上が、「シディ・ブ・サイド」です。
カルタゴ遺跡群を十分に満喫できました。
【5日目05/03(木)〜最終日05/04(金)】
ついに最終日。いよいよチュニジア共和国ともお別れです。
ホテルの中の写真を改めて撮りました。
バスルームです。
客室の窓からの景色です。
またまた朝食です。ストローベリージュースが気に入ってしまい、毎日3杯〜4杯は飲みました。
この日もクレープ焼いてもらいました。
こんな感じです。
朝食のレストラン会場です。
ホテルの中の様子です。
以上ホテルの館内の様子です。
タクシーでホテルを出まして、チェニス・カルタゴ国際空港です。
出発口がめちゃくちゃ混んでいます。
空港施設内に入りまして、電光掲示板でTK664便を探しましたら、ありました。
イスラム語だと、よくわかりません。
英語でTK664便イスタンブール行きとあります。
ターキッシュエアラインズの預け荷物の受付です。
29番窓口で受け付けてもらいました。
出国審査を終えまして、ダイナースクラブカードで無料利用できるラウンジで一休みします。
上から5番目がダイナースクラブカードの目印です。
PCも使えると思って、ブログの記事が書けると思ったのですが、キーボードの配列が違います。
しかもエンコードでチュニジア語か英語しか入力できず、日本語入力にできなかったため、ブログ記事を書くのは、あきらめました。
サンドイッチとジュースです。
出発が近くなったので、56番ゲートに向います。
56番ゲートです。
私が乗る便ではありませんが、手荷物が旅客機の機内に収納されている様子です。
チェニス・カルタゴ国際空港を飛び立ちました。
離陸直後のチェニス市内の風景です。
機内食です。
イスタンブール・アタチュルク国際空港に到着しました。
往路と同様に、ダイナースクラブカードで無料で入れるラウンジで時間を潰しまして、いよいよ成田空港行きのTK052便の出発ゲートに向かいます。
東京・成田国際空港行き706番ゲートです。
東京・成田と表示されています。
機内食です。チーズがたくさんのマカロニパスタです。
出発前の食事ということで、ハンバーグとライスがメインディッシュの機内食です。
成田空港に到着しました。
TK052便を前から撮影しました。
というわけで、今日はGWに往訪したチュニジアの写真を多くご紹介しました。
グローバリズムのトリニティの一つである「人の移動の自由」について、改めて考えさせらました。チェニスは発展途上国ですが、国家は人材育成は大事ということで、学費はほとんど国家予算でかからないとのこと。
とはいえ、例えば医師の資格を持った人が、チュニジアから出たいということで、ドイツなどに出て行ってしまうという現状を、現地の日本人から聞きますと、「これでは、チュニジアの国力が強化されない」と思うのであります。
もちろん、チュニジア人がチュニジア国籍でなければならないということはないでしょう。日本国内における日本人も日本国籍でなければならないということはありません。
実際は日本は年金制度や医療保険などの社会保険が充実しており、ビジネスをやる上でも中間所得層が多い人口で、他国と比べてインフラも整備されている点で、ビジネスがしやすい環境です。それに比べてチュニジアは国力は弱い。医療サービスの供給力強化に当たっては、チュニジア人の医師が国内に留まってもらえるよう高い給料を払うべきだと考えます。
しかしながら国力の弱い国家が自国の通貨発行を財源に政府支出するとなりますと、インフレが発生する可能性があります。もともと需要>供給というインフレギャップの環境下にあってインフレが進みやすい発展途上国では、「国債増刷」「政府支出増」の組み合わせですんなりと解決できないことがあります。ここが日本と異なる点です。
それでも中期的に国力強化のために、供給力強化をしていかなければ慢性的なインフレは止まらないものと考えます。インフレ圧力が強まったとしても、国力強化のために「政府支出増」は、やはり必要なのでは?というのが私見です。
日本はデフレであるがゆえに、そして先進国であるがゆえに、「国債増刷」「政府支出増」のセットで政策が行われれば、経済成長を取り戻せますが、チュニジアはそうはいきません。皆さんも発展途上国が富めるようになるためには、どのような政策が組み合わされるべきなのか?お考えいただければ幸いです。
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