政治主導よりも官僚主導・族議員の昭和時代に戻ることが日本を強くする
JUGEMテーマ:政治
今日は「政治主導よりも官僚主導・族議員の昭和時代に戻ることが日本を強くする」と題して論説します。
私は米国と英国は好きな方の国です。米国はニューヨーク、ワシントンに行きましたし、英国はロンドンに行ったことがありますが、先進国にふさわしい街づくりに加え、インフラも十分に整っていたと認識しています。
その米英は政治では二大政党制ですが、私は日本がそれを真似る必要があるのか?疑問に思っています。
いろんなメディアがかつて「政治主導でなければならない」とか「官僚支配からの脱却」というスローガンのもと、昭和から続いてきたものを壊してきました。
中選挙区制度を廃止して小選挙区比例代表制度を導入したのもその一つですし、裁判員裁判の導入などもその一つと思っています。
多くの場合、国会議員というのは基本素人であり、官僚こそがその道のエキスパートで専門家です。
もちろん国会議員にも専門家がいて、かつては専門分野の政策を官僚と二人三脚で主導していました。
実に専門的な政治主導が実行されてきたのですが、世間一般人にはそれが認識されず、この専門家議員のことを「族議員」と称して貶め、徹底的に叩きました。
しかしながら族議員を排除して専門知識を持たない議員が、素人の感覚で政策をすれば、当然間違った政策が決定されることになります。
一方で日本では素人が口を出すのが、正しい民主主義という誤解があり、族議員という専門家議員が発言した内容については、利権が発生するなどと批判を繰り返してきました。
立法だけではなく「素人重視」は司法の場でも導入され、「この事件について、どう思うか?死刑にすべきか?あなたの意見が国民の代表の意見として正しいのです。」ということになっているのと同じです。
専門家としての訓練を受け、重大な判断を下す準備も覚悟もある裁判官が判断するのではなく、そうした準備も覚悟も知見もない素人の判断が国民感情に寄り添って正しいということになっているのです。
民主主義の在り方とは本来、国民から選ばれた議員が国民に信頼される行政運営をするための法律を整備し、信頼される行政組織を構築することが、正しい在り方であると考えます。
そう考えれば政治家は謙虚でなければならず、専門家の意見を虚心坦懐に聞いて、自ら判断しなければなりません。偏った思い込みで判断をしてはならず、むしろ官僚の意見を重視すべきであって、官僚を排除するべきではありません。
真に国益を考えるのであれば、国益を真剣に考えることができる官僚を教育、指導する仕組みを構築することが政治家には求められていると私は思います。
現実は今の官僚は、米国に留学させられ、自由主義を学んで帰国してきますので、日本の国益ではなく、自由が第一ということで関税引き下げや中国と仲良くやって金儲けしようという発想になりがちです。
このような官僚ばかりとなってしまったのは、いろんな原因があると思いますが、その一つに間違った政治主導という発想、官僚排除、族議員叩きといったことが理由にあります。
平成のような新自由主義を辞めて、むしろ昭和時代に戻って族議員が専門分野を極め、国益を真に考えながら官僚を使っていくという姿に戻すことが、日本を再び強国に導くものではないかと私は思います。
というわけで今日は「政治主導よりも官僚主導・族議員の昭和時代に戻ることが日本を強くする」と題して論説しました。
- 2020.09.15 Tuesday
- その他
- 00:19
- comments(1)
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- by 杉っ子
http://blog.livedoor.jp/toshi_tomie/archives/52343047.html
この記事を読むにつけ、もっともっと政治家官僚、引いては国民がしっかりしないと・・・と思います。
日本はアメリカ(西側諸国)と協力し、大東亜戦争の二の舞だけは避けてほしいのですが、中国の増大は世界を圧するのではないかと気が気ではありません。